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『わたしが病気と仲良くなった日 3.魔の1週間』

2020年 11月18日  Health

九大病院に搬送されてから、、、。

血球の値があまりにも低すぎて、この状態だとすぐに感染症にかかってしまうからと、病院の最上階に隔離された、無菌室に入れられた。

そこは、家族しか入ることのできない、守れた場所だった。
血液を固める作用が働かないから、眼球から血がでたり、血が通ってないから、身体が黄土色みたいになって、

もう写真にも残したくないくらいの、尋常じゃない病人臭を放っていた。

最初の1週間は、とにかく身体がキツイ‼️の一言に尽きた。
吐き気どめを打たれても止まらないほどの吐き気で、食べてもないから、黄色い汁を吐いてたり。


あまりの倦怠感で、部屋についてるお手洗いすら行けなくて、我慢してるから変になって、利尿剤を打たれはじめたりもした。

特に腎臓は、5段階レベルでいうと5の、重篤な腎疾患で、
本当に透析をするかしないかかなり迷って超〜〜〜〜〜ギリギリしなくて済んだ。
くらいのレベルだったらしい!!

1番痛かったのは、入院中2回した、骨髄穿刺というやつ。


骨髄に麻酔を打ってから、ドリルみたいなので掘って髄液を摂るみたいな感じ???

麻酔の時点で死ぬほど痛いし、実際穴開けられるときは、母曰く、「いたいーーーー!!!!!」って悲鳴をあげ、叫び散らしていたらしい。

その日から、この痛さに勝るものはないと、毎朝ビクビクしてた大量の採血も、一切怖くなくなった。

それくらい激痛だった⚡️麻酔の意味....

それからも重い倦怠感は長く続いた。抗がん剤をする前に歯科検診をしますと言われ、
ただ車椅子に乗って連れていってもらうだけなのに、それすらきつくて、

「行きたくない」とか「今日は無理です」とか「来てもらえないですか?」とか言い続けて、

看護師さんも、
「この状態じゃ無理よねぇ。先生に相談したら、また今度でいいって。明日は行けるといいね」というやりとりを何度も繰り返した。
ようやく行けた日は、無菌室を出て5階に連れて行ってもらうだけなのに、
「今日は、歯医者に行ったから疲れた。」とグッタリしていた。

そして、最初の1週間目に2回の抗がん剤を打たれた。
ウイルスを殺すために必要だったそう。
抗がん剤はとてもきついというイメージがあったけど、午後から抗がん剤を入れる前に、午前中吐き気どめの点滴を打つから多少翌日にだるさが出るくらいで、そこまできついわけではなかった。

それよりも、病は気からで、「わ!抗がん剤が入ってくる!!」という気持ちで気分が悪くなる方が大きかったと思う。
午前中入れられている吐き気止めを、もう抗がん剤だと勘違いしていて、先生に、「抗がん剤がキツイです。」といったら、

「抗がん剤は、まだ打ってません」と言われたwwww

もうひとつ辛かったのは、点滴で打つステロイド(プレドニン)

プレドニンは、副作用として興奮作用があって夜眠れなくなったり、食欲が半端なく増す!!
プレドニン打ってる人は、夜中の3時に普通にカップラーメン食べたりするらしいくらい。

わたしは食事禁止令が出てたからご飯食べられないのに、狂いそうなくらいの食欲で、興奮作用で夜も1.2時間しか眠れないから、夜中の3時や4時に、母が買ってきてくれているヨーグルトやプリンをあるだけ、何パックも貪ってた。

食欲がなくて食べれないんじゃなくて、なりの拷問だった。

とにかく、先週まで沖縄の大地を踏みしめ大自然のエネルギーを浴び切っていたわたしが、

無菌室という、外の空気にすら触れられない、太陽の光すら感じられない隔離された部屋に閉じ込められている。
そして、ものすごい量の点滴に繋がれたわたしは、

完全に自由を奪われて、自分のことをとても可哀想に、惨めに、情けなくしか思えなかった。



「何がいけなかったんだろう?」「もっとどうしてたらよかったのだろう?」という無意味な後悔と、

「いつここから出られるんだろう?」
これから先どうなるんだろう?」

という大きな不安が、耐えられないくらいの大きな波のように時折押し寄せてきた。

26歳のわたしに、この打ち寄せる波に耐えきろというのは、まだ早いよ神さまと思った。

少しずつ吐き気も倦怠感もおさまり、意識がはっきりしていくにつれ、いろんなことを考えられてしまう分、
恐怖を感じて涙ばかりが出てしまうから、

この状況に正面から向き合わぬように、目をそらすように、

必死だった夜もあった。

「なぜこんな無菌室に?」「なぜこんな抗がん剤を?」と、

夜見回りにきてくれる看護師さんに、「わたし死にますか?」と聞いたこともあった。
無気力になって、生きるなら生きるけど、死んだときはそのときだな、とか考えた日も何度もあった。


生きようと思い切れるパワーは、まだこの時のわたしにはなかった。

つづく
 
鵜林 美里
フラダンスインストラクター。本場ハワイに留学して習得した高い技術は、フラの心までを観客に伝えると大好評。2018年に血球貪食症候群を発症し克服。闘病日記が多くの人に勇気を与え話題となった。

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