『わたしが病気と仲良くなった日 2.2度目の転院』
2020年 09月07日 Health
「腎臓と肝臓が一切機能してないから、 済生会病院に行ってください」と言われ転院してから、、、、。
済生会病院では、 2泊したのか3泊したのかすら記憶が曖昧なくらい、 時系列というより断片的な記憶があるだけ
そのとき、血液に異常があることがすぐ分かって(白血球・ 血小板・赤血球が正常値を大幅に下回っていたらしい)、【 白血病】か【リンパ腫】か実際になった【血球貪食症候群】 のどれかの可能性があり、その判別に時間がかかったので、 判明されるまでは済生会の集中治療室にいたらしい
まず覚えているのは、集中治療室に入れられてすぐ、たしか、 血液担当、肝臓担当、腎臓担当だったかな?
とにかく3人の先生たちが、「担当します」、 と名札を見せながら挨拶をしてくれたあと、 とても気難しそうな顔をしながら、 私の身体を観察したり触ったり質問したり、 3人で腕を組み頭を抱えながら、一体なんの病気なのか、 いろんな話し合いをされてらっしゃった
「 最近なにか変わったことしましたか?」って、「 1週間前沖縄でスキューバダイビング」と答えると、「ん〜 それは原因としては考えにくい」って、「色が黒いのはもともと? 」とか「今、 身体が変な黄色になっているけどこれは通常じゃないよね?」 とかw
「
血液の値が低すぎたからか、 これまで採血で苦戦したことのない私だったけど、 腕からは何箇所か試されたけどもう採れなくなっていて、 ついに手の甲に
本当に、 どうかそれだけはやめてくださいと心の底から思ったけど、 女性の看護師さんが容赦ない
何度か刺されるけど、 それでも採れなくて、男の先生たち3人がカーテンの外に出て、 女の看護師さん2人がかりで、股関節から、血を抜くことになった
「痛いですか?」っと聞くと、「 ここにいる人たちみんなやったことないから分からないの、 ごめんね」と言われたのは覚えてるたしか最初に試した脚からは採 れなくて、もう片方の脚からようやく、採れたそのおかげで、 たった一度だったけど、 そのときできた内出血は両脚に20cmくらい大きくて、 完璧に消えるまで1ヶ月以上かかったほどだった
本当に、
何度か刺されるけど、
「痛いですか?」っと聞くと、「
集中治療室では、 その3人の先生と2人の看護師さんが常にわたしのそばにいて、 緊迫感やことの重大さ加減が尋常じゃないほど伝わった⚡️
周りも慌ただしく、救急の患者さんが運ばれたりと、 ドラマの世界のようだった。とにかく、 わたしは身体中が痛いからじっとしてられなくて、「きついです痛 いです」とずっとわめいていて、 女の看護師さんのほうがむしろクールで怖くて、 男の先生たちのほうが「しんどいね、もう少しね」と、 幼児をあやすように扱ってくれた。血を吐いたりもしてた。
そして気づいたら、 処置室での治療がおわり集中治療室の半個室みたいなところで目が 覚めた。カーテンがあるだけで、夜も、 他の患者さんが看護師さんを呼ぶ気配や、 看護師さんがバタバタされてるのがきこえてくるくらいだったけど 、逆にそれくらいが安心感があった
どのタイミングか分からないけど、母が必死になって、 私の身体をさすって、「絶対死んだらあかんで!生きなあかんで! あんたお母さんより先に死んでもうたらお母さん気ぃ狂ってまうで ぇ! おじいちゃんおばあちゃんが絶対守ってくれるから死んだらあかん で!明日の朝またくるからちゃんとしてなあかんで!!」っと、
血相かえて、わたしの意識が切れてしまわぬようにと、 必死に呼びかけてたのも覚えてる。
夜も、熱で暑いのと身体中が痛いので、眠れず、 何度も何度も新しい氷枕を看護師さんに持ってきてもらってた
余裕 のある経験豊富そうな女の看護師さんは、 いつも程よく溶けた氷枕を持ってきてくれたけど、 必死な頭の固そうな男の看護師さんは、 カチンコチンに凍ってるのをもってきてくれ、頭に敷けず、 でも言う気力もなく氷枕を抱きかかえながら寝てた
点滴やいろんな 線に身体や手が繋がれるから、寝返りすらうてず、 息苦しいというか、生き苦しかったな腎臓も機能してないから、 丸3日間くらい一度もお手洗いにも行かなかった
余裕
点滴やいろんな
そして多分翌日かな?母と繋がりがある人には母から連絡してもらい、 直前まで会っていたりその先もいろんな予定があったもとこさんに は自分から電話したのを覚えてる
もとこさんさんはネイル中だったけど出てくださって、 電話の先でめちゃくちゃ号泣しながら「なんでー??!!」って、 「あんなに元気やったのに、どうしたと!! 絶対死んだらいかんよ!絶対だめよ!!!」 って強く強く訴えてくださった意識朦朧としながらの、 最後の力をふりしきるようにかけた電話だった気がする
はじまりも 終わりも覚えてなくて、 そのもとこさんの力強さと愛を感じる声だけが記憶に残っている
もとこさんさんはネイル中だったけど出てくださって、
はじまりも
2.3日後、ついに血球貪食症候群と判明された。 うちの母は先生に、「とにかく状態が悪く、 自分では怖くてとてもじゃないけど診れないから、 九大病院に行ってください」と言われたらしい
救急車も全て出払っ ていたので、車椅子に乗せられ、 介護カーみたいなので九大病院に運ばれた。 車椅子に乗せられたところまでの記憶だけがあって、 どうやってその車に乗せられたか、 どうやって降りて九大病院に入れられたのかは全く覚えておらず多 分無意識のまま、無菌室に入った
そこから、涙あり、涙あり、 涙ありの、無菌室での生活が幕を開けた
救急車も全て出払っ
そこから、涙あり、涙あり、
つづく
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mavieの自己紹介をmovieにまとめました。一緒に、 キラキラした素敵な毎日をおくってみませんか。
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